『周防大島一周』
2013.1.13
 3連休ではあるが、土曜日はバレーの大会、月曜日は体操練習があるので、日曜日だけがまるまる一日フリーとなった。どうしても自転車には乗りたかったので、この日は、早朝から深夜まで、どっぷりと『つぎはぎ日本一周」をさせてもらうことにした。まあ、1日のみなので、島シリーズということで、一度チーム寺子屋で走りかけた(その時の様子)が、雨のため、途中中止になった、『周防大島一周』を実行することにした。リベンジだ。
 さて、今回は、車中泊でもよかったのだが、さすがに1月の一番寒い時期なので、やめにして、朝6時に益田をスタートした。(まだ、暗かった)それでも、大島には、9時前に着き、橋を渡ったところの駐車場に車をとめた。準備をしていると、ロードバイクを乗せた車が数台入ってきた。MCCのような感じで、これから、この人たちも大島一周するのだろうと思われた。こうして、大勢で大島一周するのも楽しいだろうなあなどと考えながら、9時半ごろにはビアンキの準備を終え、ローディーたちにあいさつをし、スタートした。
 1月ではあるが、しっかり、防寒着を準備していたので、それほど寒いということはなく、走り始める。

 

 海側を走りたかったので、時計回りに国道437号を通り島を一周することにした。走り始めて、感じたのだが、大島ではスピードを落とさず、ロードバイクすれすれを通る車が多いということだ。島を一周するロードバイクが多いから慣れているのかもしれないが、やはり、ひやっとする。多少、スピードを落とすか、間隔をあけて通ってほしいなあと思いながら走る。
 すかっとした晴天ではないので、海の景色も、今一つではあるが、視界に海があるというのはやはりいい。
 周防大島と言えば、私の住んでいる益田と共通項がある。それは、ともに四境戦争の戦場ということである。幕末1866年に第2次長州征伐として、幕府軍と長州軍が戦った場所が4か所(石州口の益田と大島口のこの周防大島と、あと、芸州口と小倉口)である。益田に住んでいることから、四境戦争についてはとても興味があり、大島を一周する中で、大島口の戦いの史跡などあれば、是非よりたいと思っていた。
 国道を走っていると、戦場跡という看板が目に入った。久賀の町へ向かう。久賀に入ったのはいいけれど、戦場跡という看板は1度きりで、あとは目にすることができなく、残念ながら、戦場跡を見学することができず、過ぎていった。ただ、ここには歴史民俗資料館があるのは、事前に調べて知っていたので、そこによることにした。その資料館の向かい側に石風呂跡があったので、最初にそこへ行く。ここの石風呂は、西日本で一番古いものということだった。現在は、使われておらず、史跡になっていた。

   

    

 向かい側の資料館に行ってみると、日曜日だというのに、人がいないではないか!鍵がかかっている入り口には「用事がある方はこのチャイムを押してください」とあった。しかし、中を見ると、電気もついておらず暗いまま。外にあるトイレにまで、鍵がかかっていて、用を足すこともできない状態だ。この状態で、チャイムを鳴らしても、実際に入ることができるまで、ずいぶん時間がかかりそうなのと、外から中を見ると、四境戦争の資料館というよりも、この辺りで、造られている瓦の歴史についての資料館といった感じだったので、入るのは止めにした。外にもたくさんの鬼瓦がならべてあったし、建物の外壁にも、龍を浮き彫りにしたような瓦を使っていたりしてあった。

   

 四境戦争の史跡が見られなかったのは残念だったが、この先にもまだ、きっとあるだろうと思い、先へ進んだ。少し行くと、とても小さい灯台が見えてきた。大崎鼻の灯台だ。道沿いに、ちょこんとあるといった感じだ。
 大島はみかんが名産ということで、斜面にはミカン畑がところどころあったが、思ったほどではなく、どちらかというと、前回行った大崎上島の方があったような印象をもった。それよりも、別荘がいろいろなところにあったことの方が印象的だった。

    

 そんなことを思いながら走っていると、前方の防波堤に、すごい数のカモメがいるのが見えた。これは、面白いと思い、さっそく、撮影タイム。カモメが飛び立たないように、そうっと近づいて何枚も写真をとった。α300には、300mの望遠を装着しているので、このレンズが活躍。しかし、あるところで、カモメが危険を察知し、一斉に飛び立ってしまった。残念。まあ、休憩にもなったし、気分転換にもなった。カモメが飛び去ったあと、近くを見ると、タコ壺があった。漁業も盛んなところなのだろう。

   

  

 東和の道の駅に11時半ごろに到着。昼食にはまだ早い気もしたが、この後、食堂があるがどうかもはっきりしないので、ここの食堂で昼をとることにした。しかし、結構なにぎわいで、2階にあった食堂は、何人も人が待っている状態だった。『つぎはぎ日本一周』では、そんなに何十分も昼食のために待つというのは、時間がもったいない。そこで、外に売店がいくつかあったが、その中の一つ、弁当屋であなご飯を購入することにした。ロードバイクをこいできたので、そんなに寒いという感じでもなかったので、外のテーブルで食べ始めた。サービスに味噌汁もついていたのが、ありがたかった。ただ、このあなご飯は電子レンジにかけたわけではないので、非常に冷えていた。まるで、アイスでも食べるかのような感じで、だんだん体が冷えて行ったのがわかった。味も冷たさであまりわからなかった。まあ、それでも、熱い味噌汁があったので、本当に助かった。大島の名産「みかん」も売っていた。格安のみかんもあったので、一瞬買おうかとも思ったが、寒さのため、今、みかんを食べると、もっと、冷えてしまいそうだったので、やめにした。

    

 東和を出発して、少し行くと、何かの記念館があった。見ると、星野哲郎記念館だった。この時は、中には入らず、外で、写真を撮っただけで、先に進んだのだが、帰ってからインターネットで、調べてみると、とても有名な曲をたくさん作曲している方だった。水前寺清子の「三六五歩のマーチ」や都はるみの「あんこ椿は恋の花」など、男はつらいよなどなど・・・すごい人だったんだ〜と後でわかった。

 

 その後、小休憩。そこで、エネルギー補給のため、キットカットを食べた。このキットカット、受験バージョン。きっと勝つ?でよく売れているそうだ。チョコの表面に応援メッセージがあった。この時は、「未来への切符つかもう」だった。

 

 伊保田というところに、「陸奥記念館」があった。ここは、太平洋戦争当時、戦艦陸奥が大島沖で沈んだのだが、それを昭和45年から8年間かけて、引き上げ、その時のものをここには展示してあった。展示室の中には、数々の遺品や、関係資料があった。その中に陸奥の100分の1の模型や、船内の様子などがわかる断面図などもあった。全長は250メートルもあり、船の中は5層以上でできていた。沈んだ時には1400名以上の人が乗っていて、その中の1121名もの人が亡くなったということだった。ご冥福をお祈りした。
 展示室は撮影可だったのだが、ブログなどには公開しないようにとのことだったので、外から写した写真だけ。しかし、外の公園にも引き上げられた砲台や、スクリュー、船首の部分など、貴重なものが、野ざらしになっていた。係の人に聞くと、本物ということだった。ちょっとびっくり。このまま、朽ちてだめにならなければいいのだけれど・・・、まあ、錆びないように処理はしているだろうけれど・・・。
 同じ敷地内に海上自衛隊の飛行機も展示してあった。

   

 陸奥記念館を過ぎると、その先は周回できる道ではなく、「両源田」というところで行きどまりになる道。『つぎはぎ日本一周』では、できるだけ、先端までは行きたいという気持ちが強いので、今回も、そこを目指した。道幅はだんだんと狭くなり、突然行き止まりといった感じになっていた。想像では、灯台何かあるのかと思っていたが、そういうものはなく、景色が綺麗な岩場があるだけだった。

   

  

 ここからUターン。伊保田で、油宇に向かい、島の南側県道60号線を進む。こちら側は、アップダウンがあるが、景色のよいところが多い。海の景色もよかったが、高台から見える街並みの景色もいい感じだ。

    

     

 アップダウンのくりかえしの中、ところどころ絶景ポイントで癒されながら進む。眼下に外国風の別荘地が見える。カラフルでまるで,ミニチュアの町を見ているよう。

     

 今回の『つぎはぎ日本一周』から、新兵器を導入した。それは、ナビ。先日車の純正のナビが古くなって、データを更新しようか迷ったが、最新のデータが入った、ポータブルナビが格安で出ていて、データを更新するより安かったので、これを購入した。そして、これは、バッテリーもあり、持ち出しできる仕様になっていたので、今回これを持ってきていたのだ。ただし、バッテリーの容量は少なく、2時間ということなので、迷ったときなどに、電源を入れ、現在位置を知ることと、地図として活用していく使い方をすることにしていた。休憩時にキットカットでエネルギー補給をしながら、このナビを見てみると、思っていたよりもまだ進んでおらず、この先相当時間がかかりそうということに気がついた。出発前に大島一周は60キロぐらいかな?と何の根拠もなしに、そう思い込んでいたのだが、ナビとかで、よく見てみると、100キロぐらいあるということにこの期に及んで気がついた・・・・どじだ〜。このままだと、暗い中での『つぎはぎ日本一周』となるかも?と少々あせってきた。

  

休憩を終え、ややペースを上げて、先へ進もうとした。ただ、結構寒い中走ってきていたので、足が重く、思うようにペースがあがらない。それでも、やはり、綺麗な場所はあるわけで、短時間ではあるが、写真を撮りながら進んだ。みかんが名産のところには、必ずと言っていいほど設置されている、みかんを運ぶ運搬具。モノラック。ここにもやはりあった。

     

    

 南国情緒ただよう片添ヶ浜海水浴場の前の道を通るころには、すでに15時30分を過ぎていた。冬なので、17時過ぎには暗くなるので、あと2時間。周防大島一周するには、まだ、50キロ以上あるかもしれない。

  

 防波堤で鳥居と本殿を遮断するようになっているところがあった。でも、よく見ると鳥居の部分の防波堤に通路が通っていた。さすがに、神様を通せんぼしないように配慮している感じでほほえましい。いざというときには、この通路は閉じられるようになっている。
 牛ヶ首という岬にシーボルト上陸地という石碑があった。興味があったが、写真だけで、先へ進む。

  

 さらに進むと、沖屋室島までかかっている沖屋室大橋が見えてきた。予定では、この島にも行ってみたいと思っていたのだが、とてもそんな余裕はなく、今回は、ここでも写真だけ。

  

 そして、恐れていたことが・・・。雨が降り始めたのだ〜。前回の大崎上島の時も最後に雨が降ったのだが、今回も。まあ、いつものように、レインコートはしっかり準備していたので、濡れる前に着こんで、進む。

    

鹿家というところを少し過ぎたあたりに、面白い岩が見えてきた。竪岩というらしい。大島に4か岩があり、それをお参りすると、幸せがやってくるということらしい。が、今日は、この岩だけ。

    

ハイペースで行こうとして、結構疲れたし、まだまだ先はあるので、安下というところで、休憩をすることにした。ここは、ちょっとした町で、JAの売店もあり、そこで、おにぎりを購入し、エネルギー補給。すでに、時間は17時すぎ、そろそろ暗くなるころだ。まあ、あせってもしかたがない。ゴールの大島大橋まで、まだ20キロ以上あるので、真っ暗になっての走行は決定だ。あせらず、安全第一に行くしかない。おにぎりを食べていると、猫が2匹近づいてきた。見ているだけで、癒された。

   

庄南ビーチをすぎ、先へ進むが、すでに、景色はほとんど見えず、強力ライトで照らされた路面をたよりに進む。それでも、街灯が結構あったので、そんなに心細い感じでもなかった。夜トレをしてきた成果か夜の道を走るのもそれほど、苦にはならなかった。雨の中、真っ暗になってゴールへ向かうというこの状態は、『つぎはぎ日本一周』の中でも結構過酷な部類に入る。が、まあ、なんとかなるさ!って感じで、もくもくと進む。久々のコンビニも見えてきた。コンビニがあると、やはり、安心感がある。まあ、寄らなかったのだが、あるだけで、応援されているよう。

     

そして、ついに、大島大橋に到着。周防大島一周達成である。

   

 ロードバイクを車に乗せ片づけをして、近くの温泉に。保養館という温泉施設。500円という安さではあったが、とてもいい湯で、本当にいやされた〜。
 後半は、過酷な旅になったが、でも、やっぱり面白かった!??どこが?って思われるかもしれないが、達成感かな〜?生きているって感じかな?
 これだから、『つぎはぎ日本一周』は止められない。

 本日のデータ
 走行距離 102q
 平均速度 17.9km/h
 最高速度 48q/h
 陸奥記念館入館料 420円
 温泉入浴料 500円
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『つぎはぎ日本一周』