『出水〜笠沙』
2008.7.31 
7時から朝食ができるということだったので、その時間におねがいをしていた。フロントの人は非常に丁寧で、感じがいいのに、食堂の人は、セルフということもあるが、レジのところにいるのに、あいさつもしなければ、セルフの説明もない、ただただだまったまま。
 まあ、勝手にとってもいいのだろうと解釈して、自分でもりつけをしていった。
 旅に出て、ホテルや旅館で食べる朝食というのは、なぜだかおいしくしっかり食べることができる。普段の朝の慌しさから開放されたゆったりとした雰囲気がそうさせているのかもしれない。今日の朝食もとてもおいしくいただけた。

 

 ホテルをスタートして今日の最初の目的地は、つるの飛来地だ。出水の駅前からは10キロ以上離れているので、県道378号線をスピードをあげ進む。途中、日本一大きな鈴がまつられているという箱崎八幡宮があったので、そこに寄ってみる。高さ4メートル、直径3.4メートル、重さ5トンというビッグサイズ。砂利道を自転車で進みながら、その鈴を目指す。入り口の門に、その鈴はどか〜んとつるされていた。鈴というイメージではなく、ドラ?いや釜?う〜んやっぱり巨大鈴か。その鈴を鳴らしてみるが、大きすぎて、巨大鈴がなっているのかどうかはっきりしなかった。鳴らすための縄についている普通の鈴の塊が鳴っているだけのような気もした。
 境内に入ると、その鈴と同じ大きさのモニュメント?があり、そこで、記念撮影をするようになっていた。この鈴、そんなに歴史が古いわけではなく、平成10年にできたらしい。あと、この神社には、日本一小さい鈴というのもあったそうだが、それは残念ながら見逃してしまった。

  

  

 この辺りを通っていて、驚いたことが二つ。高校生だと思うが、学生鞄を持っていたこと。益田では、この学生鞄というもの最近では見たことがない。我々が高校生や中学生だったころは必ず、この鞄だったのだが・・・・。他の地方はどうなのかな?などと思った。少なくとも、今までの『つぎはぎ日本一周』ではそんなことを思ったことがなかったので、学生鞄は見なかったのだと思うのだが?これも調べれば面白いかも。
 もう一つ驚いたのは、女子高生などが、通学にスクーターに乗っているということ。まあ、男子学生もだけれど、スカートをはいた女子高生がフルフェイスのヘルメットをかぶって、スクーターを運転している図があまりに衝撃的だったので、こう書いたのだが、まあ、このあたりではこれがあたりまえなのだろう。
 毎年、夏の『つぎはぎ日本一周』では大量の水分を必要とする。Tシャツなどは汗がびっしょりになる。年によっては頭から水をかぶりながら・・・ということもある。今年も例年になく暑く大変だったが、水はかぶらなくても大丈夫だった。今年の水分補給で一番重宝したのが水。水ってこんなにおいしかったっけ?と再発見するそんな感じだった。何本飲んだか分からないくらい飲んだ。おかげでこの暑い中熱中症にならずに無事旅を続けることができた。

  

  

 さて、鶴の飛来地だが、この時期に鶴がいるわけはないので、見れないのはわかっているが、どんな場所かだけでも見ておきたくて、その場所に向かった。
 観察センターに行ったが、やはりしまっていた。そのたてものの前で記念撮影だけして次へ行こうと思ったとこへ、おじさんが声をかけてきた。なんと、鶴を観察している方で、この時期でもロシアへ帰りそびれた鶴が2羽ほどいて、今からその観察をしに行くというのだ。また、せっかく来たんだから、一緒に行こうとさそってくれた。ラッキーだ。おじさんの運転する車に乗り、なべ鶴を見にでかけた。まあ、出かけたと言ってもすぐ近くなのだが。でも一人ではどれが鶴なのかはわからなかったと思う。おじさんに、どれが鶴なのかを教えていただいたり、双眼鏡をかしてもらったりして鶴とご対面。意外に堂々としていて、割と近いところまで行ったのだが逃げようとせず悠々としていた。
 一度事務所のようなところへ帰ると、鶴について詳しく話してくれた。また、ありがたいことに絵はがきまでくださった。まあ、なんと親切な。一緒に写真など撮ってホームページに公開してもいいかきくとOKとのこと一緒にいた、もう一人の女性も、ブログをやっているということで、これからも鶴のことについて、情報を公開していくということだった。帰ったらさっそくアクセスしてみよう。  その方のブログ「ハルメモ」はこちら
 事務所を出て、今度は自転車で鶴のところにいってみた。そこには、さっきとかわらず、悠々と2羽がいた。写真を何枚もとり、つぎへ進んだ。

      

      

 出水を出て、途中、長島の方にも行こうかな?とも考えたけれど、南下をするほうを選んだ。阿久根市に入る。ここの海岸も独特で、牛の浜といい、ごつごつした岩をばらまいたようなそんな海岸線。長島の前までの不知火海は湖のような表情だったが、ここはちょっと違っている。

   

    

 牛ノ浜から少し行くと、道の駅「阿久根」に到着。ここで、エネルギー補給をかねて、少し休憩。こう暑いと、ついつい水分ばかりとって、カロリーが不足してしまうので、意識的にこうしてエネルギー補給をすることにしている。暑い中ロードバイクをこいでいるので、結構な運動になっているのだ。今回、走りながらでもちょっとしたエネルギー補給にと思い、カロリーメイトを持っていったのだが、これが、失敗だった。口の中に入れた瞬間、口の中が砂漠状態になり、あわてた。すぐに水をながしこまなくては息もできないほど。夏はゼリー状の補給食を準備しないとだめ、ということがよくわかった。
 ここでは、「いきなり団子」というものを食べた。益田の方にある柏餅の中にサツマイモが入っている、そんな味だった。うまかった。

   

   

 道の駅をすぎ、少し行くと、今度は人形岩なる看板が・・・。益田にも人形峠に人形岩があるが、益田はお坊さんという感じだが、こちらの人形岩は母親が子どもをおんぶしたような形だ。みていてほほえましい人形岩。

  

 フェニックスの街路樹が南国の雰囲気を感じさせる道、その道を今度は海岸線を離れ、少し山側に向かう。川内川(せんだいがわ)を抜け、川内の駅に到着。ここで本日の昼食をとることにした。駅にある「そば喜庵」というお店。日替わり定食で、680円だったかな?この値段で、ご飯おかわりOK,食後のコーヒーもあるというもの。グッド。

   

  

 川内駅から再び峠を越えるような道を進む。ただ、そんなに斜度があるわけではない。途中、びっくりする物が?縄を使って作ったねずみ?がどんと、鎮座していた。誰が、何のために?
 串木野駅をとおり、八房川を渡る。

   

 途中、石でできた蔵があったので、写真を撮る。江口浜海浜公園に到着。ウイークデイということもあり、それほど人はいなかったが、海に入り、気持ちよさそうだった。実は、今回海水パンツを持ってきてはいたのだが、入ると疲れて、ロードバイクで先へ進めなくなりそうな気がして入らなかった。今から考えると、入っておいてもよかったかな?

   

  

 江口浜海浜公園を過ぎると、防波堤の外になる。すると、海の表情は全く変わり、今度はサーファーたちが喜びそうな波が次々と打ち寄せてくる浜に変わる。ここにはサーファーがたくさんいた。

 

 先へ進む。もうこの辺りでは稲の色が黄金色で刈り取りはもうすぐといった田んぼも多い。ただ、そうでない青々とした田んぼもあるので、植える時期の違いや、品種の違いもあるのだろう。そんなことを考えながら進んでいると、反対車線の歩道のところに荷物満載のままチャリ発見。こうなると、すぐにお話がしたくなるのは、自転車乗り共通の習性だ。反対車線に行き、おじさんに、あいさつをする。この方は九州一周途中の方で、ここで、昼食を食べて、その片付けをしている最中ということだった。私のロードバイクを見て、高速の旅だね。と言われた。おじさんのママチャリには、すごい量の荷物。ちょっと持たせてもらったが、すごい重量。80キロぐらいあるかも。一度こかすと、なかなか起き上げることができないらしい。スポークも重さに耐えかねてよく折れるそうだ。一日二つぐらいの町を進むのんびりペースの旅ということで、お互いの安全を祈念してお別れした。

   

 この辺りは、田んぼよりもサツマイモ畑の方が多い。(たぶんサツマイモ・・・違っていたら教えてください)普段島根で見慣れている風景と違ってちょっと新鮮な感じだ。

   

 南さつま市に入り、道の駅「木花館」による。そこの観光案内板を見ると、近くに万世特攻平和祈念館がることを知る。特攻隊に関する祈念館は知覧が有名であるが、せっかくなので、ここにも行ってみることにした。
 ここは、資料館としては珍しく1階の展示室は撮影可ということで、特攻隊の歴史を考えながら写真をとった。
 自転車の旅をしていて、得することの一つに、いろいろな人から声をかけてもらいやすいということがある。ちょっと変わった人と思われるのだろう、「どこから来たんですか?」というようなことから会話が始まっていく。ここの受付の方とも、そんな感じで話が始まり、ここの祈念館についてもいろいろ細かい情報なども教えていただいた。ここにある戦闘機は、実際に近くの吹上浜から引き上げたものだそうだ。本物とは思っていなかったので、驚くと同時にとても貴重な展示でやはり来てよかったと実感した。ここは南方戦線の激化にともない知覧だけでは支障をきたすようになり、急遽飛行場をつくり、昭和20年の3月から7月の4ヶ月間ほど、特攻隊が利用したところだそうだ。ここからは201名の若者が飛び立ったそうだ。
 2階には、特攻隊として出陣していった青年たちの写真と共に遺書や遺品などが展示してあった。なんと、一番若い人は17歳で飛び立っていた。ほとんどの人が22〜25歳ぐらいの若者だ。遺書には、家族のことを思った言葉が書かれてあり、読むのが苦しくなるようだった。当時の若者は、こうして命を捨てていったのだ。平和の尊さ、平和であり続けることを改めて祈念して、ここをあとにした。

   

  

 平和祈念館の受付の人から教えていただいたのだが、ここから先の宿泊施設。一番のお勧めは、笠沙恵比寿というところ。早速、携帯で連絡してみて、この日泊まれるかどうか確認してみた。平戸のときのように、行ってみたはいいが、泊まれないというのではあまりにつらいので、ちょっと離れた場所の宿泊施設は事前に確認を取ることにしたのだ。そうすると、宿泊できるという返事。安心したが、値段を聞いてびっくり。13500円というではないか!『つぎはぎ日本一周』らしくない高額なホテル。この値段を聞いて引いてしまった。泊まることがはっきりしたらもう一度連絡することにして、途中の安い宿を探しながら笠沙方面に向かうことにした。

   

    

 笠沙の公民館をすぎると、いよいよ海岸線。断崖絶壁があるようなところを通る。これから先はアップダウンがあるし、そんなに大きな町もないので、宿泊場所を逃すと野宿になるので、慎重に進む。景色はとても綺麗だ。途中の看板に1泊3500円というような旅館の看板も見え、この看板にそっていけばなんとかなるかな?などと思いながら進んでいった。しかし、しかしである。途中から、その看板が見えなくなり、その看板に書いてあったあと何キロというような距離を随分すぎてしまった。もうこうなったら、仕方がない。『つぎはぎ日本一周』らしくはないが、思い切って、贅沢をすることにした。笠沙恵比寿に宿泊だ。その笠沙恵比寿がある野間池地区が見えてきた。一気に断崖絶壁から下っていく感じだ。その先にある野間半島には10基もの風力発電用の風車があり、壮観な眺めだった。益田にも1基ほどあるが、現在修理中なのだが、ここには随分前からだそうだが、10基も動いているのだ。

   

   

 そして、いよいよ笠沙恵比寿に到着。チェックインして部屋に入ると、なんと、和室とロフトがあり、とても広々としたつくり。窓からの景色もすばらしく、夕日を堪能した。夕食朝食もついているということで、まあ13500円もたまにはいいか!と思った。夕食も超贅沢。おいしかった。ここは、金土はほぼ満室ということで、1日ずれていたら、野宿になっていたはずで、木曜日で助かった。
 この場所はソフトバンクは圏外ということで、(ドコモ、AUは通じるらしい)家族に連絡ができなかったのが不満であったが。まあ、それ以外は温泉もあるし、ゆっくり体を休めることができたので大満足の夜となった。

  

 

本日のデータ
走行距離 137.2km
平均速度 21.3km/h
最高速度 59.2km/h
費用 万世平和祈念館           500円
    宿泊代+飲み物         13920円

 



















『つぎはぎ日本一周』